なぜ「美術館があっても行くわけじゃない」のか?

たまたま見たブログの記事に惹かれた。

 

■美術館があっても行くわけじゃない
http://g-media1986.jugem.jp/?eid=63

 

色々なことを考えたけれど、まぁそんなのはいいとして。
最後の言葉にぐっときた。

 

“僕は素人の美術館・博物館ファンです。
 美術館・博物館に無限の可能性があると、
 心から信じてます。”

 

 私もそう思います。

 

ここからは、ちょっと自分が今考えたことを並べてみる。
思考が散らばっていてうまくまとまってないけれど…メモ程度に。

 

☆上野で美術館帰りに

 

 

今の日本の美術館や博物館に人がいないのは、単純におもしろくないからだと思っている。
そして、おもしろくない理由は、たくさんある。

 

①キュレーターが活躍できる環境ではない

日本には「学芸員」がいるけれど、キュレーターはいない。
今年も何度か美術館・博物館に行ったけれど、私にはキュレーターが見えなかった。
「主体的に展覧会を企画し、アートと時代の関わり方をデザインしている」そんな人は存在していなかった。

上野にあんなに立派な美術館や博物館があるのに、人が集まるのは“ゴッホ”“フェルメール”“日本初”といった言葉が躍る時だけ。作品ありき。

「なぜ今それをするのか」「未来にどうつながるのか」を見せられる人が、いないんだ。
展示で扱う作品へハンパない愛を持っていて、新しい価値を提示できる、そんな人が、いないんだ。
(高尚なことをしてほしいというわけではなく、むしろ逆。私たちのとこにおりてくる時は、とっつきやすく。新しい価値を提示できるほど見識深く洞察力を持った人に、こどももおとなも惹きつけられるような単純わくわくどきどきプログラムに変換してほしい 、ってこと。)


そんな人がいたら、博物館や美術館の見方自体変わるはず。
そして、キュレーターのファンコミュニティができる。
人を中心に集まるコミィニティは、強い。
そして、そんな人を擁することができる美術館・博物館には、名キュレーターが集まるだろうし、企業や個人の寄付がいく。
一人のキュレーターに依存するのではなく、一人のキュレーターから始まったものがどんどん広がりまわっていくイメージ。

 

ヨーロッパでは優秀な人がキュレーターを目指すというが、日本ではそのような人が目指したい仕事だろうか?
今の美術館・博物館の組織やお金を集める仕組みが変わらないと、絶対に名キュレーターは生まれない。 

 

②こどもに不寛容

海外の事情には全く詳しくはないけれど、NYやPittsburghで行った美術館&博物館には、こどもがいっぱいいた。
学校の授業で来た子もいる。家族と来ている子もいる。
共通していたのは、「笑顔」。
とにかく楽しそうなんだ。

 

それは、もちろん展示物の力が大きいだろう。
こどもの興味の対象があったんだと思う。博物館だと恐竜とかね。
でも、それだけではない。

皆がこどもに寛容だった。

こどもが来たら、さっと前に行かせてやる。
展示物を見て喜び大声で話す子を見守る。
座り込んで夢中でデッサンをする子の邪魔になならないように歩く。

 

文化の違いかもしれないけれど、とにかく「目がキラキラしているこども」に寛容であった。
(当然「何でも許す」という意味ではない。)

 

「うるさい」と言われる、「静かに」と求められる、「なぜなぜ?」と訊いても答えてくれる人がいない、そんな場所がこどもにおもしろいハズないのだ。

 

③おとなが「美術館・博物館はおもしろくない」という

先にそういう意識を植え付けちゃいけない、と思う。
小さい頃に受けた言葉は、人をしばるから。
おもしろい見方を教えられるようなおとなになりたいな。

 

私が昔住んでいた滋賀県には、「文化ゾーン」というのがあった。
近代美術館・県立図書館・庭園・こども広場・彫刻の森が集まっている。
土日の人気スポットだった。
家族で車で向かい、図書館で本を借りて、昼間は公園ゾーンでお弁当。
その後は庭園を一緒にあるいて、また公園で走り回って。
家からはすごく遠かったけれど、よく友達にも会ったし、同じような過ごし方をした友達は多かったと思う。
文化ゾーンはおもしろい場所なんだと信じていた。
それでたまーに美術館にも行って。
私は美術的センスがゼロで、アートが何かとかよくわかってなかったけど、美術鑑賞はそんなおもしろい場所の延長線上にあったから、なんとなく当たり前になっていた。
そしてたまには興味深いものに出会ったりもした。
そんな「当たり前」を提供してくれた、滋賀県にも家族にも感謝している。 

 

☆長崎の美術館内カフェ

 

 

おもしろそうな企画をしている人がいたら全力で応援する。お金を払う。
キラキラした目をしたこどもがいたらあたたかく見守る。
こどもに美術館・博物館の可能性を体験させる(伝える、ではなくて)。
それが自分にできることかなぁ。
 

 

結局まとまらなかった。

まぁ、いいのだ。

 

 

美術館・博物館は、
埋もれているものを掘り起こし、ほろび行くものを守り続け、未来を見せる場所 。
一人一人が持ち寄った力で、わくわくを皆でつくる場所。
知りたい欲を刺激し、無限の可能性を広げる場所。

 

もっともっと、美術館・博物館が愛される場所になってほしい。

 

 

昔のエントリー

http://sat05.hatenablog.com/entry/2012/09/06/054136