問い
最近、マニュアルやツール作成のお仕事が多かった。
今週から久々に研修だ(ほんの少しだけだけど)。
やっぱり研修は楽しいと思う。
今回は、別部門の人への研修。
同じ会社の、別部門の人というのは、おもしろい。
同じ会社で同じ目的のために走っていて同じお客様を相手にしているのに、 全然違う。
共通言語は少しあるけれど。
別部門っていうだけで、こんなに会話にならないことがあるのだから、そりゃそのままだとお客様や他社の人には伝わらないに決まってる。
学ぶことが多い。
あ、ズレた。
本題。
久々の研修で事前にお願いしたのは、「とにかく質問をしてほしい」ということ。
同じものを扱っているのだから、別部門とはいえある程度話は通じるけど、その人の思うコトバと私の言うコトバは異なるかもしれない。
同じものを指していないかもしれない。
その人の「すぐ」は10分以内なのか、1日なのか。そこからして違う。
皆が「部門の暗黙のルール」として知っていること。
同じコトバでも、働いている部門・入社した年度・経験が違うと、同じ意味にはならないことも多々ある。
思考もバックグラウンドも違うのだから、しょうがない。
その事実をあぶりだして、認識を統一させるために、質問をしてほしいと思った。
ちょうどその研修の朝に、問いに関するツイートを見かけたので、のっかった。
自分が学ぶ質問ための問いというより、考えるための問い。共通認識がなくなってきた、思考が、バックグラウンドが、複雑化してきたからこその、考えるための問い。QT @eshintaro: 問いをたてること。問いを共有することから始まることがあるのかもしれない。
— Satoさん (@aoakua_jp) 12月 9, 2012
全然違うお話なのかもしれない(というかそうだろう)けど、今のは自分なりにそう理解した。自分が学ぶ、相手とコミュニケーションとる、皆で考える。質問は全部できる。質問力大事。
— Satoさん (@aoakua_jp) 12月 9, 2012
「問い」 は、すごい。
そこにいる皆の思考を動かす力がある。ゆさぶる力がある。
良い「問い」は、良い学びを生む。
受講者だけではなく、講師にも学びがある。
ありがたい。
質問をしてもらえるような、空気をつくらねば。
質問がうまれないような、そんな研修だけはダメだと思う。