無駄

最近自分の中で余裕がなくなってきている気がする。
無駄を減らしすぎている。

 

4ヶ月前に「無駄で優雅」というブログを書いたばかりなのに。
全然「無駄」がない。

 

 

あーーーもっともっと人生楽しみたい。

もっともっと人が喜ぶ姿を見たい。

もっともっと皆の笑顔が見たい。

まだまだまだまだ動いていたい。

 

どうも余裕がなくなってくると、顔がぎゅーーーーーーってなっちゃう気がする。
「 いつも笑ってるよ、全然顔に出てないよ」って言われるけれども、私の中では、ぎゅーーーーっなのだ。

 

「いつも心に太陽を」と歌った人は誰だっけ。
映画もあったとか聞いたような。
使い古された(?)言葉だけど、イイ言葉だなぁ。 

 

いつも心に太陽を。

 

 

まとまらなーーーーーい。

 

 

 

-------前のブログで書いた「無駄で優雅」-------------

ここ最近映画見てないし、美術館行ってないし、ライブ行ってない。

 

なんだか文化吸収できてない。

 

消費する一方。

 

なんかざらっとしてくる。

 

 

「お父さんがいて、こどもがいて、近所の人にも恵まれて、本が読めて、美術展に行けて、好きな歌手のCDが聴けて、ヨガができて、おいしい野菜が食べられて、私幸せ。欲を言えば、あとは、もう少し音楽のイベントがあればいいのにな。」と 母親が言っていた20年前。

 

私にも本を買ってくれ、美術館に連れて行き、音楽を聴かせてくれた。
勉強しろ、と言う前に、文化を体験させてくれた。そこで勉強の大事さも知った。 

 

 

「よく食わず嫌いで批判する人がいるけれど、それは違う。歌舞伎はつまらない、本当にそうか?現代アートは意味がわからない、本当にわからなかったか?
実際にやってみた後に感想・意見を述べなさい。」と現国の先生に言われた13年前。 

 

歌舞伎に行く前は授業で歌舞伎の説明があり、オススメ本を教えてくれ、愉しみ方を教えてくれた。 
つまらない、好きではないと思うものもあったし、すごく惹かれる芸能もあった。 

 

 

「社会を知りたい、働きたい場所がある、お金を稼ぐ大変さを実感したい、と目的あってのアルバイトならしてもいい。お金を得るためだけのアルバイトに追われる毎日はだめだ。学生時代は、勉強し仲間と楽しみ、せっかく東京にいるのだから文化を吸収しなさい」と父に言われた10年前。

 

そっか、もう誰も連れて行ってくれないんだ、自分で探して行かなきゃいけないんだ、と当たり前のことを知り、また一人暮らしの中でどんなに「無駄」が大事かを実感した。

 

社会を知りたくて、旅に出る資金が欲しくて、アルバイトはしたけれど、文化に触れるようには心掛けていた。

 

 

歌舞伎、文楽、アート、演劇、写真、映画。

 

その頃に得た文化を消費しっぱなしな気がしてならない。

 

文化は完全に自分の中から出ていくものではないけれど、インプットがなければやっぱり霞んでゆく気がする。

 

時間ができればできるほど、そういう「イイ無駄」を置いてきちゃう。

 

 

ブルックリンパーラーの「人生における無駄で優雅なもの、ぜんぶ。」というコピーが大好き。
http://www.brooklynparlor.co.jp/ 

 

 

どんなにお金が無くても、仕事に没頭していても。

無駄で優雅なものが詰まった生活を送りたい。