ラベルをつけてはがすのが好き

人が好きです。
ラベルをつけてはがすのが好きです。

 

 

つきあっているうちに、話の内容や態度からその人の傾向がわかってくる。 
「流行りものが好き」「面倒見のイイおにいちゃんタイプ」「あまのじゃく」…色々。

 

というと、
「この人“流行りものが好き”なんだな!じゃあこういう話題ふってみよう」というふうにいつも考えてるのか?
ラベルを貼って、色眼鏡通して見てるのかな?
と思われそうだけど、そういうのではなく。
初めはぼやーっと自分の頭の中で勝手に分類されている感覚だから、全くそんなこと意識してない。

 

日々の生活では、意識することはほぼなくて個人を見ているつもり。
あくまでも自分は「○○さん」という1人の人間単位で見ているつもり。

例えば、仕事で「こういう仕事をまかせるのに適した人いるかな?」と先輩や役職者に訊かれたとき、仕事の飲み会の人選をまかされたとき、プライベートで「あの人とうまくいかない」「こんなこと言われたんだけど、どう思う?」と言われたとき…
そんなときにポーンと頭の中に人やラベルが思い浮かんできて、自分なりの答えが出る。

で、「あっっ、そっか、私こう思ってたんだ!」「そうだ、○○さんはいつもこう言うもんなぁ」って急に結びついていく。

 

 

そこまできたら、次にその「ラベル」をはがす、これが楽しい。
自分でつけたラベルを見つつも、「○○さん」をまた見ていく。 

 

 

人間って単純にラベルでは表せないし、同じ「面倒見のイイおにいちゃんタイプ」だからって同じ人間ではないし、1人には何枚ものラベルがあるはず。
 

「面倒見のイイおにいちゃんタイプ」って思ってた人と実際話してみて、「うんうん、やっぱ面倒見のイイおにいちゃんだなー、でも実はこういうところもあるんだ」「おにいちゃんタイプだけどなんか違うなーって思ってたら、実際は妹じゃなくて弟がいるのかー、だから面倒見がイイっていうより見守り系なんだな」とか。

そういうのが楽しい。
ちらりと「ラベル」を見ることで、逆に「ラベル」とは違うところが見えるというか。
その人の一部を意識の片隅におくことで、他の良い部分がいっぱい見えるというか。

 

この頭の中を言葉にすると、「ラベルをはがす」というよりも、
「ラベルを増やす」「ラベルに追記する」「ラベルを差し替える」ってほうがぴったりなのかもしれないけれど、
全体のイメージは「ラベルをはがす」なのだ。
たくさんラベルが貼られると、結局ラベルひとつひとつは意識しづらくなるし、最終的には個人を見ているのだから。

 


「この人ってこうだよね」的な話はいやがられがちだ。
「レッテルを貼る」とか「イメージを押し付ける」とか確かにイヤだもんね。

 

それって「この人ってこう」というラベリングがイヤというより、
「この人ってこう(なハズ)。」=だから、あんなことするのはおかしい
「○○ちゃんは頭がいい。」=だから私たちと一緒に遊ぶはずが無い
っていうように、1人の人に1枚(だけ)のラベルを貼って押しつけるっていうのがイヤなんだと思う。 

 

(あと、マイナスイメージのラベリングも当然×。良いとこ見ようよ。) 

 

そもそも人には色んな人格があって。

 

「甘えん坊」なのに「しっかりしてて精神力が強い」子ってよくいる。
例えば、「末っ子で普段は甘えん坊。ニコニコ穏やか頼りない印象にも見えるけど、追い込まれると強さを発揮する」子とか。
それを1枚のラベルで表すと普段目立つ部分だけが取り上げられて「あの子は甘えん坊(=だから、リーダーは無理だよね、遂行する力がないよね)」となっちゃう、それって違うよね。

 


まずは、人は複数の人格を持っていていいし、場面ごとに別の人学がでてきていい、っていうことを認識しなければ。
何千何万とある様々な種類の「ラベル」の中からそれぞれが単百何千と持っているのだ。

 

そう考えるとその子にぴたりと合う「ラベル」を見つける(作る)のは楽しいし、またそれをはがすのも楽しい。