新年
今更ですが。
あけましておめでとうございます。
今年も自分勝手に言葉を残していきたいと思います。
さて、新年です。
新年ってイイなぁ、リセットされた気になって。
と思っていたら、、、
日が変わり1月1日になった。ただそれだけなんだ。多くの人がこの日に新規に目標を立て、誓いを新たにし、変化を期待する。だけど、残念ながら人も世界もそんな簡単には変わらない。劇的な変化を望むのでは無く、1歩ずつ歩いていきましょ。なんてね。あけましておめでとう!今年もよろしくです。
— 家入一真さん (@hbkr) 12月 31, 2012
そうだった。
2013/1/1と2012/12/31はつながっているのだった。
「今までの怠けは、なかったことに!」「今日からは何でもできるぞー!」なんてなるわけがなかった。
2013/1/1の自分は2012/12/31の自分の続きで、今までの怠け者が一日分歳をとっただけ、除夜の鐘を108回多く聞いただけ。
いきなりスーパーサイヤ人になれてるわけでもない。
先日「一揆はやめて少しずつ」とか書いたばかりで、同じようなことなのに、忘れちゃいそうになってた。
何か刺激を受けた時や節目の時に、
ワープできるんじゃないか?!
リセットして0からやっちゃえるんじゃないか?!
と夢見てしまうこの体質をどうにかしたい。
新たな目標立てるなら、「今年こそは…」とリベンジを誓いたいのなら、何かを変えなきゃダメだ。
変えられるだけの意志の強さをもたなきゃダメだ。
昨年はどろどろな一年だった。
いや、言い方が悪い。カオスってこと。
体調悪いし、始めたこともあれば終わったこともあったし、自分に興味を持てたし、自分がますますイヤにもなった。
同時に、刺激的な講義や場や人に触れることができたイイ一年だった。
そんなすごい経験でも、終わった後は「うわーすごい!わくわく!」ってなりつつ、その講義・場・人との出会いが「終わってしまった」感があった。
本当は違うハズ。
始まってたハズなんだ。
矢印の始点。
今年は、そこから始まるんだ、ということをもっと意識したい。
絶対にここから始めるんだ、と強い意志を持ちたい。
昨年の刺激的で素敵な出逢いを、点で終わらせたくない。
今年につながる矢印にしたい。
今年素敵な何かに出会ったら、絶対絶対「今ここから」を意識する。
一年後、イイ一年だったと大事な人たちと笑っていられますように。
問い
最近、マニュアルやツール作成のお仕事が多かった。
今週から久々に研修だ(ほんの少しだけだけど)。
やっぱり研修は楽しいと思う。
今回は、別部門の人への研修。
同じ会社の、別部門の人というのは、おもしろい。
同じ会社で同じ目的のために走っていて同じお客様を相手にしているのに、 全然違う。
共通言語は少しあるけれど。
別部門っていうだけで、こんなに会話にならないことがあるのだから、そりゃそのままだとお客様や他社の人には伝わらないに決まってる。
学ぶことが多い。
あ、ズレた。
本題。
久々の研修で事前にお願いしたのは、「とにかく質問をしてほしい」ということ。
同じものを扱っているのだから、別部門とはいえある程度話は通じるけど、その人の思うコトバと私の言うコトバは異なるかもしれない。
同じものを指していないかもしれない。
その人の「すぐ」は10分以内なのか、1日なのか。そこからして違う。
皆が「部門の暗黙のルール」として知っていること。
同じコトバでも、働いている部門・入社した年度・経験が違うと、同じ意味にはならないことも多々ある。
思考もバックグラウンドも違うのだから、しょうがない。
その事実をあぶりだして、認識を統一させるために、質問をしてほしいと思った。
ちょうどその研修の朝に、問いに関するツイートを見かけたので、のっかった。
自分が学ぶ質問ための問いというより、考えるための問い。共通認識がなくなってきた、思考が、バックグラウンドが、複雑化してきたからこその、考えるための問い。QT @eshintaro: 問いをたてること。問いを共有することから始まることがあるのかもしれない。
— Satoさん (@aoakua_jp) 12月 9, 2012
全然違うお話なのかもしれない(というかそうだろう)けど、今のは自分なりにそう理解した。自分が学ぶ、相手とコミュニケーションとる、皆で考える。質問は全部できる。質問力大事。
— Satoさん (@aoakua_jp) 12月 9, 2012
「問い」 は、すごい。
そこにいる皆の思考を動かす力がある。ゆさぶる力がある。
良い「問い」は、良い学びを生む。
受講者だけではなく、講師にも学びがある。
ありがたい。
質問をしてもらえるような、空気をつくらねば。
質問がうまれないような、そんな研修だけはダメだと思う。
一揆・一気・一喜
今日友達とボーナスの話をしていたら、「ボーナスは少ないし仕事には不満だし」って言ってたから「上司に仕事の相談すれば良いのに」と言った。
そしたら「うちの会社はそういう雰囲気じゃないよ…皆あきらめてる。そのうち皆で一揆したい(笑)」との答え。
おおっ一揆とは。
穏やかではありませぬ。笑
そこで思い出した、自分のつぶやき。
選挙盛り上がってるけど、選挙後のほうが楽しみ。選挙の振り返りは「歴史的な一日!」「結局何も変わらなかった…」の2種類しかないわけじゃない。第一党が新興勢力なのか既存政党なのか、投票率が前回に比べ何%上がったのか下がったのか…そういう事実はもちろん大事だけど、もっと中身を見たい。
— Satoさん (@aoakua_jp) 12月 9, 2012
西田さんの「過剰な投票いけ、行けば変わる言説もしんどい。」というのはわかる。しんどい。世代人口が違うんだから若者が行っても、世の中変わらないよ。でも、若い世代が政治に関心持って、ジブンゴトとして考え出したら、少しずつ何かが動き出すと思う。すぐに結果が出ることに目を向け過ぎず、⇒
— Satoさん (@aoakua_jp) 12月 9, 2012
⇒確実に少しずつ動かしていくほうに目を向けたい。「若者は投票行け!行けば変わる!」より、One Voice Campaign「その声が、政治を日本を変えていく」のほうが好きだなぁ。「変えていく」んだよ、これから。もちろん投票には行きますが。毎回ちゃんと行ってますが。
— Satoさん (@aoakua_jp) 12月 9, 2012
※One Voice Campaignには「その一言で、政治は変わる」というコピーもありますが。「一票」ではないので。
話は少し違うんだけど、、、
ガマンしてガマンして、ぐわーーーーっと変えようとするのが好きな国民性なのかなって。
一揆で一気に何かが変わらないと、もうダメだと思ってしまう国民性なのかも、とも。
議論が苦手なのがいけないのかな。
意見を伝えること、受け取ることがうまくできないのかな。
別意見を言うことは他の意見を全否定することと思ってるんじゃないかな。
学校でディベートの授業をもっとやれば良いんじゃないかな。
空気読むことを教えている場合じゃない。
ガマンを教えている場合じゃない。
調和も忍耐も日本人の美徳と思っているけれど、
いつでもどこでも空気を読み続け、ガマンし、行きつく先が、一揆…。
手遅れになる前に、流れをよみつつ言ったり行動すれば良いのにね。
そして対話をして、どの方向に進んでいるのかを確認して、少しずつ良い方向に進めていけば良いのにね。
ためてためてためて、一気に何かを変えたいと願って一揆。
変わったらその結果に一喜。
「いっき」を調べてみた。
一気に
1 途中で休まずに物事をするさま。いっぺんに。
2 《近世上方語》すぐに。じきに。
一揆
1 中世、小領主たちの同志的な集団。また、その集団行動。特に、幕府・守護・領主などに反抗して、地侍・農民・信徒らが団結して起こした暴動。土一揆・国一揆・一向一揆など。
2 江戸時代の百姓一揆。
3 心を一つにすること。一致団結。
4 程度・方法などが同じであること。一致すること。
一喜一憂
状況の変化などちょっとしたことで、喜んだり不安になったりすること。また、まわりの状況にふりまわされること。
前の選挙では、自民に不満を持ちつつもガマンしてた層が、一揆。
そして民主が第一党になって一喜(その後ダメダメで、一憂。)
一気に何かを変えられる!
一揆で何かを変えられる!
って信じられることは、イイことなのかもしれない。
いつかこの閉塞感から脱せられると思うことで、生きていけるから。
でも、そろそろ一揆・一気・一喜ではなく、しっかりと道筋を作っていくのもイイと思うのだ。
周りには一揆じゃどうにもならないことを知っている人が多いように思うし、できると思う。
(私の年はまさに「キレる」世代で、神戸の酒鬼薔薇とか高速バスジャックとか皆同じ世代だったけど。もしくは、だから、かもしれない。そんなことがあっても世界は変わらなかったというのを見ているから。)
まずは、考える。
そして、自分の意見表明。
その後対話。
その繰り返しじゃないのかな。
そんなわけで、今まで選挙の話題とか触れてこなかったけど、
今回はまず自分の意見を言う・自分にできることをやることにした。
ブクログでまとめを作りました。
■ハチャメチャ!泣いちゃう!おもしろ選挙小説
“選挙まであと少し!選挙に興味が持てないアナタも、まじめに考えて頭の中がゴチャゴチャしてきたアナタも。おもしろ小説を読んで、選挙を最後まで楽しんじゃいましょ♪”
http://booklog.jp/matome/769/aoakua
☆運河もどき
今日の会社帰り。
空気が澄んでる。
手当て
「気」の持つパワーを信じますか?!
私は信じてます。
って、別に怪しいセミナーにはまってるわけじゃなくて。
「気が入った水で元気に!」とか「すごい先生の気をあててもらおう! 」とかよくあるけれど。苦笑
そうではなく。
小さいころ、お腹が痛い、目が疲れた、そんなことを言うたびに
母があったかーい手をあててくれていた。
そうすると、じんわりきて身体がラクに。
まさに「手当て」ですね。
一人暮らしで身体が弱ってるときは、そんなことを思い出す。
そんな思い出があるので、私も気と手のもつパワーを信じてる。
今でも、不調なときは、自分の手であたためたり、あたためてもらったり。
手って偉大。
温度としてのあたたかさ、
気持ちのあたたかさ、
なんかよくわかんないけどパワー(気)。
じわじわ伝わってくる。
お子さんやダンナさん・おくさまが弱ってるときは是非。
その時じんわり気持ちイイのはもちろん、そういうことって記憶に残るものだから。
☆生後5日のベビちゃんのおてて
友達のこどもの手に指を入れたら、ぎゅーーーっと。
モンロー反射っていうんだっけ?
あたたかみを覚えていてほしいなぁ。
ウェブ動となんちゃらレーザーと孫を通じて新しい世界を見たお話
先日の自分のつぶやき。
先週、津田さんのウェブ動[Kindle版]買った。なんとなく読みたくなって買っちゃった。おもしろかった!! 電子書籍とか興味無かったし関係無いと思ってたけど、そうではなく電子書籍で読みたい本が無かっただけだったんだなぁーと。読みたいものさえあれば、買わざるを得ない。
— Sat (@aoakua_jp) December 4, 2012
そんなわけで、あんなに自分に縁が無いと思っていた「電子書籍」、あっさりデビューしちゃった。
昔の日記にも似たようなこと書いたけど↓↓↓
■ココロ動かされたい
http://sat05.hatenablog.com/entry/2012/09/09/052419
結局それで何ができるかなんじゃないんだよね。
電子書籍が便利で持ち歩けて安いっていうのは知ってたけれど、私は紙の本が好きだし全然興味無かった。
ちょっと良いなーって思うことはあっても、実行が伴うことはなかった。
でも、先日あっさりとデビュー。
津田さんの「ウェブ動」のステマRTを見てて、気づいたらポチッとしてた。
気になる!今すぐ読みたい!って思っての行動だったけど、そしたら本当に早いし安いし便利だし、なんじゃこりゃ?!っていう。
新しい世界を見たよ。
でで、その話をしようと母に電話したら、母が「今日はネットでこんなの調べたよ!」って先に言ってきた。
ええええ??!!!
ネットできんかったやん!!!!
ドコモのケータイでは、デコメを使いこなし(文字がスウィングしたりする)写メも送ることができる母は、ずっとPCでネットすることができなかった。
なんで??って思ってたけど、今日判明。
ネットをしたい理由がなかったのだ。そりゃ覚えられないよね。
今日はどうしても、「なんちゃらレーザー」というのを調べたかったらしい。
(整形外科であててもらったレーザーが気持ちよく、医療機器の値段を調べたかったらしい。いや、絶対高いでしょ、買えないでしょw)
そういえば、91歳の祖母もそうだ。
入院した時、らくらくホンを買ってプレゼントした。
使うの無理かなーと思ってたけど、(通話だけなら)問題なくつかいこなしてる。
絶対イヤがると思ったのに、「さっちゃんといつでも話せるね」って喜んでくれてる。
また、固定電話よりも聴こえが良いから、らくらくホンで話すのは苦にならないのだそうだ。思わぬ効果。
私も母も祖母も。
したいことがあって、エイッとしてみたら、出会ってしまった。
新しい世界を見てしまったのだ。
私のiPadにはすでに書籍が5冊。
母は昼間にネットサーフィンを楽しみ、今度はイタリアにいる兄とSkypeにチャレンジすると言っている。
祖母は週に何度か電話をしてくるし、ケイタイで母や伯母にも電話をしている。
また、出かけたら帰る時に福祉タクシーを呼ぶ必要があって、公衆電話を探すのが大変と嘆いていたけれど、それが解消されて出かけるのも楽しそうだった。
一つのことをきっかけに、世界がいっきに広がる。
電子書籍もインターネットもケイタイも、便利なことや長所は知っていた。
開発者は「こういうところを便利にしたい」「こういう機能をつけたい!」と思って開発してくださったのだろう。
でも私(ユーザー)は今より「便利」になること・長所(優れた機能)を体験することを望んでいたわけではなかった。
それはあくまで結果なんだ。
「電子書籍はすぐ読める!」ではなく、「ウェブ動をすぐ読みたくて試してみたら、1分後には読み始められてた!なんだこれ!」なの。
一番ウリの機能が実は隠し味で、一番重要だったっていう。
うん。そんなことを最近また考えてる。
富ー士ーはにーーっぽんいーちーのーーーやまー♪
旅の記録。
昨年の夏、富士山に登った。
まだまだ大人になりきれない会社の仲間たちと、 夏休みだ!何かしたい!という話になり、 なぜか富士山に登ることに。
山ガールでも無いのに。
7月も寒いと聞いて、びびって、防寒具はバッチリ。
でも結果、あったかかった。
その日は半そでで登りきれるくらいで、ガイドさんもビックリしてた、
そんなことはよくて。
一番キオクに残っているのは、ガイドさんのこの言葉。
「登ったら下りなきゃいけないんだよ。」
「登るのはやめられるけどね、下りるのはやめられないんだよ。」
その日は本当にあったかくて、まんまるお月さまで、富士山に登るのには絶好の日。
大渋滞がおきて、休み休み登るしかなく、それが初心者にとっては良かった。
苦しまず登れて「楽勝!」と思った。
登りはとにかく楽しかった。
でも、下りは地獄。
達成感無さそうだし、殺風景だし、滑り下りるから爪は痛いし…。
もう下りたくなーいって思い始めたその時。
「登ったら下りなきゃいけないんだよ。」
「登るのはやめられるけどね、下りるのはやめられないんだよ。」
と。
なんだか、ガーンときた。
当たり前なんだけど!そりゃそうなんだけど!
でも、ガーンって。
富士登山は楽しかった。
御来光は素晴らしく、自分の眼で見ることができた喜びは大きかったけれど、 正直、人生観は変わらなかった。
ガーンときた言葉と、マイペースを貫き別々に歩きながらも追い付け追い越せとなる度に励ましあうのは忘れなかった仲間。
それが一番の思い出。
富士登山、本当に、いろんな意味で、オススメ!!
☆富士山で苦楽をともにしたBag
☆5合目(?)までバスで行った
旅だよ、旅!
旅が大好きです。
中でも、歩いて感じる旅が大好きです。
友達とワイワイ行く温泉旅行や韓国旅行も、もちろん好き!
でも、知らない町を歩きまわって、人と交流して、その場を感じる、そんな旅が特に好きです。
初めて一人で旅したのは、オーストラリアでした。
というよりも、初めて海外に行ったのがオーストラリア・ケアンズで、もっと知りたくなったので、一人で再度オーストラリアに行ったのです。
☆エアーズロック
自転車でふもとまで行った。20km以上。最高。
☆ケアンズの街中のラグーン
歩いているだけで幸せな気分になれる。
その後、いくつか続くわけですが、全ての始まりはこのオーストラリア。
シドニー→エアーズロック→ケアンズと全てにイイ出逢いがあって、旅の楽しさを知りました。
旅の記録というか、旅の楽しみをメモしていこうかと思うのです。
一生出逢いの喜びは忘れないし、メモはしなくても取り出せる自信はあるけれど、故意に取り出すのではなく、たまたま触れて思い出したーーーっていうのがあってもいいなーと思うのです。
メモを散りばめておこう。